新町

01_新町新町の歴史は1617年頃(元和3年)今から400年ほど前に掛川宿の11番目の町として誕生したと云われております。
しかしながら掛川城築城当時に町はなく、掛川城下の繁栄と共に宿場の東側に家々が並び始め新しくできた町であることから[新町]と名付けられました。

現在の屋台は昭和27年に町内の建具職人の手により精魂込めて造られたものです。
天幕は更に古く、明治初期に「あさがお」型の屋台を造った当時の物で、非常に高価な物であったと伝えられております。
その天幕も平成7年に区民の皆様の御協力により、当時さながらに修復されております。
祭典当日は是非御覧下さい。

法被
濃い灰色地に椿と小鼓の図柄、背中に江戸文字の「祭」

提灯(弓張り)
上に朱引き「新若」、裾に役線。

屋台(彫り物、天幕)
昭和27年製作。
昭和初期に製作された雲竜の天幕、欄干に倭武尊、天女、牛若丸と弁慶などの彫刻を配している。

余興(手踊り)
獅子食い、娘道成寺、奴さん、鞠と殿様、花ばたけ


喜町

01_喜町喜町は掛川城の東の入口にあたり外堀、木戸、番所のあった古い町です。
屋台は嘉永2年(1849年)今から169年前に掛川藩御三家、喜半商店八代目の鳥居政芳氏がお伊勢参りの折京都に行き町内への土産として頂いたものです。
当時、陸路では運送不可能な為、遠州福田港まで海路にて運んできたと伝えられています。
尚、年一度の祭典では城中に招かれ殿様ご上覧には障子が他の屋台よりも豪華絢爛の為、裏返して引き回したと伝えられています。
天幕、法被、提灯には東の町、朝日が早く当る所から明け鳥の図柄になっています。
今では掛川最古の屋台として誇っています。

法被
濃い紫地に明け烏、赤に近い朱で袖に一本線、消防法被によく似る。
背中に「喜」を形どった図柄、喜半の半纏を法被にうつしたと言われる。

提灯(弓張り)
上下に朱引き、「七」三つの「喜」に組と書いて、「喜組」

屋台(彫り物、天幕)
幕末の嘉永2年に、町の豪商「喜半」が京都で買い求めたと言う。現存する屋台では、掛川最古のものと言われる。
平成10年に、明け烏の天幕を新調、欄間に素盞鳴尊の神話に基づいた、熊襲退治や、天岩戸、鐘馗鬼退治などの彫刻を配している。

余興(手踊り)
秋の野に出て、深川節、木遣りくずし、奴さん、新々おこさ節、猫じゃ猫じゃ、金毘羅船々

塩町

01_塩町塩町はその名の通り、太平洋から運ばれる「塩」の中継地としての役割を担い、多くの商人が住み、賑わっていたそうです。

本年は大祭であり、塩にちなんだ出し物として長唄「浦島」を披露いたします。

屋台の彫りには、諏訪の名工、立川流の流れを汲む高村他之助作「素盞嗚尊、八岐大蛇退治」が施されており、ヤマタノオロチを退治するスサノオノミコトの勇姿が表現されています。

また、前回の大祭では漆の塗り直しを行いました。
本年は天幕の新調を行い屋台全体の修復が完成しました。

余興に屋台にと見所の多い塩町の祭を是非ご堪能ください。

法被
藍染めの紺地に短冊、短冊には「御祭禮」、「祭れい」、「塩わか」、「志於若」などを染め抜く。
背中に、「祭」の草書風崩し字。

提灯(弓張り)
上に朱引き、朱の上に祭禮の文字、「しお若」の文字、裾に祭巴紋。

屋台(彫り物、天幕)
昭和29年製作、同49年に漆塗装。車輪は、平成三年に新調し、同七年に漆がけされている。
素盞鳴尊と櫛稲田姫の、八岐大蛇の彫刻を配している。

余興(手踊り)
深川、越後獅子、かっぽれ、奴さん、浦島、伊勢音頭、一合まいた