下俣町は利神社の氏子で旧東海道掛川宿の西のはずれに位置し、その昔は「下の前」と呼ばれていました。
大祭での出し物は曽我兄弟の富士の巻狩りの場面を描いており、江戸時代には城内に入る事が出来る数少ない山車で、城中に参上して出し物の場面を常踊りしたと言われ、城下の人々にも非常に人気があったそうです。
現在の山車は、昭和27年に築かれたもので欄間上部の四角の巻塔の組子に特徴があり、天幕には曽我兄弟の十郎の千鳥と五郎の揚羽の紋の刺繍を施したものでその金糸の厚さが高い評価を受けているようです。
是非ご覧ください。
法被
淡い茶の地、裾に鎖の飾り、背中に丸く「し茂」の髭文字。提灯(弓張り)
上に朱引き、「下俣町青年」の文字。屋台(彫り物、天幕)
昭和27年の作。
千鳥と揚げ葉蝶の紋をあしらった天幕。
出し飾りには、「曽我兄弟富士の巻がりの図」を永く使用していた。余興(手踊り)
ごん平、お伊勢参り、串本節、桑名の殿様、秋の野に出て、木遣りくずし