掛川城下町の侍屋敷・武家住宅は、大名が在城中は藩が維持管理を行い、掛川藩が上総へ転封されて、間もなく廃藩置県となりました。
掛川城地が静岡県の所管となり、土地建物が払い下げられ、民間の所有となり多くの方々が買い受けて城内区が出来ました。
新しい町ですが、屋台の歴史は古く現在の屋台は、欄間に大正庚申年10月上浣霞舟女史とあり、大正9年10月上旬絵師・霞舟さんの落款があります。
霞舟さんは、太田備中守の刀持ちの離れに居住して欄間や掛け軸などを手掛けました。
霞舟さんによる城内の欄間は正面前後に「龍神の図」正面左右に鮮やかな色彩の「松竹梅」があり腰板は大海煌めく「波濤図」です。
城内は報徳精神が息づく町です。
法被
藍染め紺地に、桔梗の染め抜き、背中に「祭」の飾り文字と「城」の文字。提灯(弓張り)
上下朱引き、「城内」の文字。屋台(彫り物、天幕)
大正9年製作。昭和52年に車輪を新調。
桔梗の紋(幕末期の掛川藩主太田公の紋所)を配した天幕、竜に松竹梅の彫刻を欄間に配している。余興(手踊り)
せつほんかいな、五郎、桑名の殿様、ねこじゃねこじゃ、紙人形