喜町は掛川城の東の入口にあたり外堀、木戸、番所のあった古い町です。
屋台は嘉永2年(1849年)今から169年前に掛川藩御三家、喜半商店八代目の鳥居政芳氏がお伊勢参りの折京都に行き町内への土産として頂いたものです。
当時、陸路では運送不可能な為、遠州福田港まで海路にて運んできたと伝えられています。
尚、年一度の祭典では城中に招かれ殿様ご上覧には障子が他の屋台よりも豪華絢爛の為、裏返して引き回したと伝えられています。
天幕、法被、提灯には東の町、朝日が早く当る所から明け鳥の図柄になっています。
今では掛川最古の屋台として誇っています。
法被
濃い紫地に明け烏、赤に近い朱で袖に一本線、消防法被によく似る。
背中に「喜」を形どった図柄、喜半の半纏を法被にうつしたと言われる。提灯(弓張り)
上下に朱引き、「七」三つの「喜」に組と書いて、「喜組」屋台(彫り物、天幕)
幕末の嘉永2年に、町の豪商「喜半」が京都で買い求めたと言う。現存する屋台では、掛川最古のものと言われる。
平成10年に、明け烏の天幕を新調、欄間に素盞鳴尊の神話に基づいた、熊襲退治や、天岩戸、鐘馗鬼退治などの彫刻を配している。余興(手踊り)
秋の野に出て、深川節、木遣りくずし、奴さん、新々おこさ節、猫じゃ猫じゃ、金毘羅船々